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フリウリの奇跡 (3)

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(Carniaの町の一つ、Saurisにて)

ローマ帝国の植民都市となったアクイレイアを支えたのは、
当時Carniと呼ばれたアクイレイア周辺地域に住む人たち。
ケルト人とは区別される事もあるようですが、ケルト人としてやってきて、
この地に住み着いた人の事を指すようです。

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(嘘臭さを通り越して、何を表現したいのかよくわからない地図・・・)

当時、アクイレイア周辺の重要な地点として、
「Forum Iulii (現在のCividale)」、「Iulia Concordia(現在のConcordia Sagittaria)」
「Iulium Carnicum (現在のZuglio)」が存在しました。

Cividaleは、その後ランゴバルド人にが築いたランゴバルド王国の
遺跡が今も色濃く残る町として、フリウリ人のお気に入りの町の1つです。
私も一度訪ねましたが、とても素敵なところでした。
Concordia Sagittariaは、現在はお隣ベネト州に属する町。
Zuglioは「Carnia(カルニア)」という地方名で知られている地域にある町。
嘘くさい地図の中では「Ca」にあたる地域です。
フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の北部の山岳地帯を指します。
Carni人が住んでいたことからついた地名なのでしょう・・・。

前回の「フリウリの奇跡(2)」で「ano」や「acco」で終わる町が今も
多く存在すると書きましたが、これは当時の土地所有者の名前からきているそうな。
また、そのほかの町の名前もローマ帝国時代に町と町に区別をつけるために
使用した単語、「森林地帯」「マイルストーン」からきていたり、
当時の歴史的出来事を元に
つけられた地名が今もそのまま残っているようです。

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フリウリにおける、ローマ帝国支配の歴史の中で非常に興味深いのは、
当時フリウリの大半を占めていたCarni人達が、
自分たちのケルト文化を守りながらも徐々にローマ化していったところ。
このローマ帝国&ケルト文化が、フリウリの歴史の大きな特徴の1つなようです。

その特徴の1つが、フリウリ語。
現在も公式言語として認められているフリウリ語は、
ケルト語にラテン語が混ざった形で生まれたのだとか。

そしてフリウリ北部・カルニア地方の一部では、
ドイツ語の方言のような言葉が未だに話されています。
私が訪れたSaurisという町でも、その言語が話されていました。

なんっせ、ものすごい隔離された場所に町がありますので、
彼ら自身の言語を維持する事ができたのでしょう・・・。

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それにしてもこのSaurisという町、異様な雰囲気を放っておりました。
イタリアでもないし、オーストリアでもドイツでもない・・・。
本当に中世の時代か何かにタイムスリップしたような気分でした。

一緒に行ったフランチェスコと、「こんな町、来たことないよな!!!」
って興奮しながら、名物のプロシュットを頂きました。

それはそうと、Saurisの旅、
ものすごいくねくね道で、酷い車酔いに苦しみました。
ウ~ディネの自宅にもうすぐ着くぞっとなった頃には、
上からだけでなく、下からもいろいろ出そうになり
フランチェスコに「ありがとう!さいなら!」と挨拶をし、
バンッと思っきり車を閉めて自分の部屋にダッシュで戻った思い出。
ああ、Sauris。「あかん・・・出る!!!」とダッシュした土曜の夕方。
もう二度と行く事はないでしょうな。

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ここも地理的にはイタリア。
レッチェも地理的にはイタリア。

「イタリアに”標準のイタリアなんてないから”」
どこかの本で見た一文が頭をよぎります。

今回、レッチェからペニンシュラを11時間かけて縦断してウ~ディネに戻りました。
標準のイタリアなどない、本当にその通りのような気がします。
改めて「イタリア」という国家の脆さというか、
イタリアが国家として成り立つ上での難しさを感じさせらています。

標準のイタリアは存在しないけれど、
私が頭の中で描くイタリア(=ブーツの形をしたペニンシュラ)は
やっぱり私の大好きなイタリア。
「あんたは何をもって”イタリア”という言葉を発しているんや!」と
指摘をされれば「ドキッ」としますが、
すっかり愛着がわいたウ~ディネの町を散歩しながら、
「南のような明るさはないけれど、やっぱりここに来れてよかった。
ここの町が好きになれてよかった」
そう思いました。
やっぱりここも、私の大好きなイタリア♫

Commented by beedaman55 at 2015-04-08 21:40
Sauris・・ってなんとなく覚えがあるような
1981年にテント生活で走った地図を出してみたら,ありました!
あの時はユーゴスラヴィアの海岸線から
Trieste~Udine~Tolmezzoと走ってCortina d’Ampezzoへ抜けようとしたら
大雨の中走っていた山道が目の前で崩れて(!)
ぞっとしながらバックしてたら災害救助隊?なイタリア軍が来て
”おお・・よかったな,危ないから下まで降りてよね”
と言われて降りたところがSaurisだった!
お金がなかったのでAlbergoで交渉して30,000Liくらいで泊ったと思う。
後に結婚した人とホッとした思い出,それがSauris!
いや,人生は美しい~!
Ciao!
Commented by Yoku1210 at 2015-04-09 04:39
義理父さん

キャ~!!!読みながらニヤニヤしてしまいました。ずっと前から私のブログを読んでくださるチャオさんがフリウリにご縁があることと、私がこうしてここで学生生活を起こる事は偶然ではなかったと最近思っています。。。

テントと一緒に車ぶっ飛ばすなんて、なんて素敵な!しかし降りた先がSaurisだったとは・・・無事に(?)Albergoで寝れたようでよかったです。ちなみに私はSaurisの帰り、ラベンダの町(町が勝手にinventしたそうですが)Venzoneによりました。車酔いのうえに、ラベンダの香り・・・具合は一気に悪化しました。(笑)

Manzanoの椅子の前を通る度に、Ciaoさんを思い出します。La vita e' bella!
by Yoku1210 | 2015-04-08 05:57 | イタリア | Comments(2)