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Ognuno di noi ha un tesoro bellissimo

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この前、友人たちとご飯を食べているときに、
「Odio/憎しみ・嫌悪」の気持ちを持つ事についてどう思うか?
そんな話になったのです。

一人は、「憎しみ・嫌悪の気持ちは人間が持つ当たり前の感情」と。
もう一人は、
「確かにこの世に存在する感情。でも俺はそんな感情は持ちたくない。
そんな感情持つことに何の意味もない。
誰にでもその人の良さがあるから、僕にとって"嫌う・憎む"
という言葉はあまりにも強すぎる」と言いました。

「じゃああんたは、もし大切な人の命が誰かによって奪われても
同じ事を言っていられるのか?」ともう一人が反論し、
ディベートはどんどんヒートアップしていきました。


「今日のドラマに体当たり!」
そう生活していると、先のリスクを見落としてしまったり、
相手の優しさや親切心を勘違いしてしまったり、
ちょっとした相手の一言にブチ切れそうになって、
「なんて奴なんだ」と完全に自分をブロックしてしまったり。
イライラがつのって眠れなかったり。

そんなとき、あるブロガーさんが昔書いていた
「人間誰でも、誰かにとっては大切な人」
という言葉をいつも思い出すようにしています。
その一言を思い出すだけで、といらいらしている気持ちが
スーッ和らいでいくのを感じます。
びっくりするぐらいスーッと消えていくのです。

どんな人でも、誰かにとっては「宝物」という存在なんやって。
「なんであいつにあんな事いわれやなあかんねん・・・」
と自分はイライラしていても、
そんな人の事を大切に思う人がいる事、
一人ひとりが「宝」のような存在なんやって。

そんな思いとディベートでの会話が重なり、いろいろ考えさせられました。
感情として存在はすると私も思うけれど、
「嫌う・憎む」という感情はできるなら持ちたくない・・・です。
そんな気持ちを持つよりも、人の良いところを見つけられる姿勢を大切にしたい、
その人が持つ、キラッキラの一面を見つけられる自分でいたいなぁって思います。

「そんな事言うてたら、いつか騙されるぞ!
あんたが損するだけ」

と言われれば、反論はできないのですが、
「嫌う」「憎む」、そんな気持ちから
得られる喜びはこれっぽちもありませんし、
ひたすら「負の感情」をもたらすと思うのです。
綺麗事じゃなく、だれっにでもその人がもつ「宝物」ってあると思うのです。
皆と仲良くするなんて無理、でもだからといって
「嫌う・憎む」そんな感情を持つ必要はないと・・・


今日のウ~ディネは、25度まで上がりました。

日焼けクリーム塗って、明日も
「今日のドラマに体当たり!」012.gif

素敵な一週間をお過ごしください♫


by Yoku1210 | 2015-04-13 02:58 | 日常 | Comments(0)