多文化主義って~イタリア生活を通して思った事


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昨晩はスカイダイビングをしている夢を見ました、
確かにお空を飛んでいたよ~のフロ~ニンゲンから就寝前のご挨拶012.gif

今日もお疲れ様でした~と父の作った梅酒をちびちびいただきながら、
好きな音楽聞いて、こうしてブログを書いて、
緊張がほぐれて疲れがいい具合に出てきた時に布団へ飛び込む、
この就寝前の時間がとっても幸せです。

さぁさぁ、昨日の続き。

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グローバル化と多文化主義ってね、切り離せないと思うのです。
グローバル化はあらゆる「壁」を取り除く政策であり、
「移動の自由」を促すのも目的の1つ。
そりゃあ、より心地のよい生活を求めて人が別の国に移り住むのは当然ですよね、
これだけ格差のある世界なのだから。

私は昨日の記事で、多文化主義を実現する事の難しさ、政策に潜む落とし穴、
政策自体の正当性などを批判しました。と同時に、希望を捨てたくない自分もいると。
グローバル化は止められない、人の流動性もますます高っています。
だから「無理、無理」と言わずに、「どうしたら85点を90点にできるかな」
と考えないと物事はポジティブに進まないと思うのです。だから希望を捨てたくないと。

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私がイギリスに住み始めたのは、もう8年も前の事。(今自分で書いてびっくりした)
だけどもうその頃には、イギリスでは(特にロンドンでは)
十分「多文化主義」が浸透していたように思います。
表面的な薄っぺらい考えなのかもしれないし、問題ははなかったのか?
そうなると別の話しですが、
とにかくいろんな肌の色、宗教、言語を話す人でれていました。
私はそれを「イギリスの特徴の1つ」として自然と受け入れていたとこがあり、
私のマンゴーカリーよりも更に美味しいインドカリーも食べられて、
誰も私の事をジロジロ見ない、日本食の買い物にも困らない、そんな生活が
快適だと感じていました。今もロンドンに行けば同じ気持ち。

ところがどっこい、イタリアでの生活はいろんな意味でイギリスとの生活
と異なっていました。

肌の色でイタリア人であるかそうでないかを無意識に判断する人が多い社会の在り方、メディアの存在、インドカリーをはじめ、異国のごはんが食べられる店など希でどこを見渡しても
イタリア料理。

私はイタリア語がそれなりに話せるようになったので、話せれば生活自体そこまで困りませんでした。むしろ多くのイタリア人とコミュニケーションをとる事ができたから、私は彼らを通してイタリアという国にすっごく惹かれ、いまや私の愛人的存在です。

どんなとこに惹かれたんやろうと考えると、理由はいろいろあるのですが、
自分の生まれ育った町を愛する姿勢や、古くからある伝統を受け継いでいこうとする人々の愛、
そういう部分にもすっごくすっごく惹かれたんですね。良くも悪くも保守的な所。

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そこで私は考えたのです。
「でもさ、じゃああんたはイタリアで多文化主義って存在できると思う?むしろ存在して欲しいって思っている?」って。
これが、最近一番悩んでいる事です。だってね、答えが出ないんです・・

ウ~ディネの近辺って、家具の生産がとっても有名な地域なんです。
そこをちょうどドライブしていた時、友達がボソッと
「ここの家具生産業もなぁ、中国の会社がデザインを真似て安い家具を売り出してからボロボロになってしまってなぁ・・」って言うたんです。

これはグローバル化がもたらした結果の例の1つに過ぎません。
こういう事がイタリア全土で起こればどうなるんだろうか・・?
今以上にイタリアでもケバブのお店が増えるかもしれない、インドカリーのお店が増えるかもしれない。「私はそれを嬉しいと思うんだろうか・・?」と。
元々のイタリアらしさって?

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こっちに住む日本人とも、「多文化主義 in Japan」についてよく話しました。
「ピンとこやんよなぁ・・」というのが私たちの正直な思い。

個人的には、イタリアに対する気持ちと全く同じ気持ちでいます。
ものっすごい複雑な心境・・

だからね、きっと何十年も前からイギリスに住んでいる人にしてみれば
私と同じような気持ちでいる人もいるのでしょうね。
外国人が嫌だとか、肌の色が違うから嫌だとかそういう事ではないけれど、
やはり長い歴史の中で築き上げられてきた元々の生活習慣や規律を守っていきたい、
そう素直に思っているんだと思います。

もちろん多文化主義を進めていく中で、この「元々」という言葉はすごく危ないんだと思います。
「元々」に属する人、そうでない人がおなじコミュニティーで生活する事を推奨するわけだから、
「元々」ばかりを強調していては両者間の溝が埋まらないですもんね。

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はぁ~、もう書いてて訳が分からなくなってきました。
本当に難しい問題ですね。
一文一文書くたびに、「あんた・・矛盾してへんか?」と問いかけてます。
自分はこうして多文化主義がわりと進んだ国で暮らしているのに、自国、そして愛するイタリアに対しては「う~ん・・」と首をかしげる。なんて勝手な女なんでしょうか。

どっちにせよ、多文化主義を取り入れる事で犠牲になる人もいるし、
逆に取り入れない事で犠牲になる人もいる、
もうこれは変えようのない事実なのでしょう。

だけどやっぱり、「integration統合」を進める方向で物事を考えていかないと・・
統合が決して不可能ではない事、可能である事を自分自身実感したからこそ、
こうして私は今もヨーロッパにいるんだと思うし、どれだけジロジロみられてもイタリアに恋をしたわけです・・1人でも多くの人が満足できる政策の実現を目指して。
85点が90点になるように。

今日のフローニンゲンは星空がとっても綺麗です。
おやすみなさい。



Commented by Yoku1210 at 2015-09-18 04:21
龍さん

コメントありがとうございます!貴重なご意見聞かせて頂けて、とても嬉しいです。
私は龍さんに比べると、おそらくもうすこし理想主義よりの人間ですが、龍さんのおっしゃることはごもっともだと思います。
それぞれの民族や文化の存在が尊重されるべきだと、正直に思いますが、そこからナショナリスティックな強い感情が生まれるのはおそろしいと思います。
その一方で、譲り合う姿勢、異なるものを受け入れる姿勢をもたない限り、多民族社会は成り立ちませんから、バランスよく、皆が満足いく形でそういった社会を築いていく事は本当に難しいことなのだと思います。

ただ、ヨーロッパの場合、多民族社会への移行は避けられないものではないかと思うのです。彼ら(移民や難民)だって、好きで来ているわけじゃない、より良い暮らしを求めて来ているわけで、どうして世界中でこんなにも格差が広がってしまったのだろう、紛争が絶えないのだろうと考えると、植民地支配の歴史、グローバル化を促した先進国、グローバル化の恩恵を受ける人がひと握りの人間にすぎなかった、そういった事実は切り離せないと思うのです。ヨーロッパにたどり着く移民の対応で、今ヨーロッパは大揺れです。
Commented by Yoku1210 at 2015-09-18 04:22
またぜひコメントください!ありがとうございました。
by Yoku1210 | 2014-09-03 06:53 | ちょっと言わせて | Comments(2)