研究と自分の事

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9月からの第三学期、やっぱりいつも同様(?)いろんな事がありました。
いろんな事を学ばせてもらったのは確かなのですが、
いろんな事が辛かったのもやっぱり確か(苦笑)

「研究するってどういう事だろう?」
愛するイタリア、これからの事を考えながらも、
頭の隅っこにいつもこの疑問がありました。

卒業論文制作という、今までに経験した事のない作業を進めていく中で
この疑問に何度も何度もぶち当たりました。もれなく現在進行中・・(笑)

自分の意見には同意しない教授の声に耳を傾けること、
いろんな方向から問題を考察してみること、
オリジナリティを忘れずに作業を進めていく事、
そんな事を意識して進めていきました。

だけども11月の終わり頃になってでしょうか、教授の意見に耳を傾けすぎて
オリジナル性から外れていっている自分の姿に気づいたのです。

私の学部は「interidisciplinarity/(多分野から研究する)協同研究」がうりのコース。
私もその魅力というか、良さはもちろん感じているのですが、これがまた厄介。
教授にはそれぞれ自分の研究分野、スタンスがあるわけで、それを曲げるわけがないのです。
同じ問題を経済学者と歴史学者が議論しようものなら、
もちろん意見の違いから衝突が生まれるわけです。
簡単に言うと、自分も卒論の担当教授と似たような事を経験し・・
というか、教授のアドバイスがそれぞれ違いすぎて
どうしていいか分からなくなったのです。
それぞれがそれぞれ視点から指摘をしてくるもので・・

だんだん自分のオリジル性も、何もかも否定されているような気分になり
言葉は悪いですが「うんざりしてしまった」・・というのが最近感じている気持ちです。
もちろん、分野が違えど、私の論議に首尾一貫性がないのであれば
それは問題アリですし、的をついている指摘も多くあるのです。

何だろうな、教授にも言われましたが、オランダのアカデミックカルチャーは
とにかく議論してなんぼ。批評してなんぼ。
私もそれはひしひしと感じており、研究者はそれが仕事・・
と思うのですが、それを繰り返しているとだんだん意味が分からなくなってきます。

何を言っても、何を書いても批判される。
評価をしてもらえても、「but」が必ずついてくる。
そこに「うんざりしてしまった・・」。
そんな事を永遠にお互いにやりあって何の意味があるのだろうか?
終わりは?(終わりなどない)
私のスタンス、私のオリジナル性を、それはそれとして
受け止めさせてもらう事ってできないのかな・・?
と考えれば考える程、本当に辛くなってきて。

唯一の救いは、今学期一緒に頑張ってきたタイ人のクラスメイトも
全く同じ時期に全く同じ気持ちを抱きだしており、
一人でも愚痴を言い合える仲間がいる事。

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教授を喜ばすために勉強してるのじゃないし・・

「自分のために勉強しとるんやろ」
と、ウ~ディネにいた頃に父に怒られた事を思い出したら
涙がボロッボロこぼれてきて。

そうそう、そうやで・・と頭の中では分かっていても、
指摘される事で、批判される事で自分の論議が組み立てられるようになるんだと
頭の中では分かっていても、
やっぱり「否定される」というのは心にずっしりきますなぁ・・。
めちゃくちゃ心折れますね。(汗笑)
持ってるごくわずかの自信という自信を全て吸い取られる感覚・・

また元気が出れば、「学ぶ喜び」が戻ってくるはず♫
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今日は何だか朝から調子がよかったので
一週間ぶりにランニングへ。

最高、最高、最高。
冬のセントラルパークもやっぱりすごく美しくって。

そうそう、別に「学生の私」が100%自分の構成物ではないのだから、
もっと外の事にも目を向けよう!そう思いました。

「物事が起こるには理由がある」
「涙は明日への打ち水」
「Nothing is impossible」
「You learn from mistakes」

世の中には元気のでる言葉がありふれているんだから
もっと外に目を向けて、
美しい言葉たちをうまく取り入れて、思いっきり信じて、
自分の人生を自分色に染めていくパワーにしていきたい、
走りながらそう思いました。
美しい言葉をええように信じて、ええように解釈したらええんや、
ええように。

さぁ、寝ましょう。

最近まゆげの処理を怠りすぎて、ほぼつながってしまった
フロ~ニンゲンより。
「こ、濃いわ~・・!!」
のフロ~ニンゲンより。

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by Yoku1210 | 2014-12-14 06:39 | 日常 | Comments(0)