フリウリの奇跡 (1)

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イタリアって、本当に行く場所によって
人も、食べ物も、建築物も、言葉の話し方もうんと異なります。

私もレッチェとウ~ディネの滞在を通して、
北と南の違いはもちろんの事、地域間の違いを肌で感じているわけですが、
最近、このイタリアの多様性は表面に見えている以上に
深いもの、ものすごく奥が深い事なんだと改めて感じるようになりました。
「あ、この人たちの中には”国家”への忠誠心のようなものは
あまりないんだな」という事を、
会話からひしひしと感じる事が増え・・・。
「そりゃぁ、政治があんな事になっていくのも無理ないわ」と。(苦笑)

私の今住むフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州は、
「北イタリア」というカテゴリーに入るわけですが、
トリエステを含んでフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州として
認められたのは戦後の事ですし、
何よりも国境沿いという地理的な要因から領土問題に苦しんだ地域。

戦時中、戦後にフリウリ州の人々は世界大移動をし、
カナダ、アメリカ、オーストラリアを始め
様々な国で「フリウリコミュニティ」が出来上がっています。
上海にもあるそうです!

そう、戦後のフリウリは、
イタリアの州の中で一番貧しい州だと言われていたのです。
ピエモンテやロンバルディアのように工業が発展していたわけでもないし、
戦争で土地は荒れ果てていたようです。

その後、フリウリは着実に発展を遂げ、
生活水準もぐんと上がりました。

「どうしてフリウリはここまで急激な発展を遂げたのだろう?」
これが私が素朴に抱いた疑問でした。

先日、ウ~ディネ城にある博物館に行った際、
受付の人に聞きました。
すると、「フリウリ人はね、根性あるから。働き者やから」
と言われました。

確かにこれもよく耳にする話。
フリウリ人は冷たい、そして根性があると。

そしてそれ以上に興味深かったのは、
「フリウリの人はね、自分から動くから。
それぞれが自分のやるべきことをするから。」

ほう、ほう、ほう・・・

これは明らかに南とは違うメンタリティーだ・・・!と。

「そのメンタリティーってどこから来てるんですか?
やはり先祖にゲルマン系の血が入ってるからでしょうか?」
と聞くと、

「それもあるだろうね。
あとはね、ここももちろん中世の時代は封建制が
存在したけれど、それでも他の場所に比べれれば権力の集中
はひどくなかったと思うの。」と言われました。

ほう、ほう、ほう・・・
なるほど、確かにフリウリにメディチ家のような存在はなかったんだろうな。
土地所有者と農民の関係も、南イタリアで存在したものとは少し異なるようです。

ここでの「偉い人に仕える」という組織図は、
南で存在したものとは大きく異なっていたようです。

今回の滞在で、フリウリに対する愛着がグンッと高まり
「もっとこの土地の事を知りたい」という思いが強くなっています。

というわけで、自分が本で読んだ限られた情報を元に
フリウリの歴史、フリウリの奇跡、
そして私が思うイタリアの南北格差論、地域主義論に対する
意見を書きたいなぁ~と思います。
いろいろ間違えそうですが・・・。
修論のテーマにも関係していますので、頭を整理させるためにも・・・。

どうぞ素敵な週末をお過ごしください♫




by Yoku1210 | 2015-03-21 04:19 | イタリア | Comments(0)